「ウルトラセブン」「帰ってきたウルトラマン」などで脚本を手がけた上原正三さんが、2日に82歳で亡くなった。子ども向け番組ながら勧善懲悪にとどまらない深いシナリオには、琉球人の思いがあった。
亡くなる8日前の昨年12月25日、筆者は上原さんを取材した。行きつけだという東京近郊の喫茶店で、上原さんは紅茶やトーストを口にしながら1時間半ほど語ってくれた。
拡大する2日に82歳で亡くなった脚本家の上原正三さん=2019年12月25日、今井邦彦撮影
「東京の周辺で暮らすようになって、もう60年ほどたちますが、いまだに自分は『外国人』だ、という気持ちがありますね」
1937年に沖縄で生まれた上原さんは55年春、大学進学で東京に向かう途中、鹿児島の税関でパスポートの提示を求められた。
「その時、『ああ、僕は日本人じゃないんだ』と思い知った。沖縄県は72年に日本に復帰しましたが、自分はずっと『琉球人』だと思って生きてきました」
拡大する「ウルトラマン」で上原正三さんが脚本を手がけた「宇宙船救助命令」(C)円谷プロ
その自意識が強く出た作品として、上原さんはチーフライターを務めた「帰ってきたウルトラマン」(71~72年)から、第33話「怪獣使いと少年」を挙げた。
身寄りのない少年と町外れの廃屋で暮らしていた宇宙人が、恐怖と疑心暗鬼にとらわれた町の人々に襲われ、殺害される。今も続くウルトラシリーズの中でも、最大の問題作とされるエピソードだ。
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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル